来歴
富山県魚津の生まれだが2歳のときに北海道に移住。巡業の先乗りで北海道を訪れた4代立浪(元小結緑嶌)に見出されて入門した。初土俵は1922年1月場所だった。十両昇進は1927年5月場所、しかしここから幕下との往復が5年近く続き苦労した。 ところが、自己最高位の西十両筆頭で迎えるはずだった1932年1月場所に春秋園事件が勃発。東京に残った旭川は組み直された2月場所の番付で東前頭3枚目に一気に繰り上がり、幸運な入幕を果たした。ちょうど1年前には幕下に落ちていたこともあり幕内の地位で苦労するかと思われたが、1942年5月場所の引退まで10年間一度も十両に落ちることもなく主に幕内上位で奮闘、1937年5月場所では1場所だけながら関脇に昇ったほか、小結も2場所務めた。また1938年1月場所千秋楽には横綱男女ノ川から金星ももぎ取っている。 右四つからの投げや肩透かし、叩き込み、足癖もあれば三所攻めもありと、多彩な技を繰り出した。不得手の左四つになると右腕で相手の首を巻いて腰を落として踏ん張りながら守るという取り口を見せた。部屋の弟弟子で「立浪三羽烏」と謳われた双葉山・羽黒山・名寄岩らの参謀役としても働いた。律儀な性格でも知られたが、双葉山が立浪と不仲になり双葉山道場を興した際には、板挟みの形となり責任をとるべく割腹自殺を図ろうとしてしまった。 引退後は年寄・玉垣を襲名し、立浪部屋付きの親方として後進の指導にあたったほか、相撲協会の監事・理事も務め、停年まで2年以上を余して1968年1月場所限りで廃業した。
幕内在位:24場所(うち関脇1場所、小結2場所) 幕内成績:117勝155敗1分1預22休 勝率.430 金星:1個(男女ノ川) 各段優勝:幕下1回(1928年10月場所)
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